従業員(労働者)の秘密保持義務

1 在職中の秘密保持義務

秘密保持義務とは,業務上知り得た秘密をみだりに漏洩しない義務のことを意味します。労働者は,企業に在職中は,就業規則等の特別の根拠がなくとも,労働契約にに付随する信義則上の義務として,秘密保持義務を負っているとされています(東京高判S55.2.18-古河鉱業足尾製作所事件等)。

企業に在職中の労働者が秘密保持義務に反する行為を行った場合,企業は,労働者に対して,懲戒処分を課したり,不法行為に基づいて損害賠償請求等を行うことが理論上可能となります。

2 退職後の秘密保持義務

労働者が企業を退職した場合,労働契約は終了しているため,付随義務としての秘密保持義務は原則として生じません。

労働契約終了後にも秘密保持義務を元労働者に課すためには,就業規則や退職時の特約等,特別の根拠が必要と考えるのが一般的です。

また,特別の根拠があったとしても,退職後に秘密保持義務を課す当該規定の有効性(公序良俗に反し無効となるか否か)が問題となり得ます。当該規定の有効性は,秘密の性質・範囲,価値,労働者の退職前の地位などに照らして合理性があるかどうかという観点で判断されます(下記参考判例)。

〈ダイオーズサービシーズ事件-東京地裁判H14.8.30〉

このような退職後の秘密保持義務を広く容認するときは,労働者の職業選択又は営業の自由を不当に制限することになるけれども,使用者にとって営業秘密が重要な価値を有し,労働契約終了後も一定の範囲で営業秘密保持義務を存続させることが,労働契約関係を成立,維持させる上で不可欠の前提でもあるから,労働契約関係にある当事者において,労働契約終了後も一定の範囲で秘密保持義務を負担させる旨の合意は,その秘密の性質・範囲,価値,当事者(労働者)の退職前の地位に照らし,合理性が認められるときは,公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。

3 不正競争防止法による規制

(1)「営業秘密」に対する特別な保護

不正競争防止法は,労働者の退職前後を問わず,不正の利益を得る目的ないし企業に損害を加える目的での「営業秘密」の使用,開示を「不正競争」行為としています。こうした行為は,差止請求,損害賠償請求,信用回復措置の対象とすることができます(下記参考条文)。

同法によって,損害賠償請求については,立証責任が軽減され(同法5条),罰則が発動される可能性がある(同法21条1項4号,5号など)など,「営業秘密」について特別な保護が図られています。

〈参考条文-不正競争防止法〉

(定義)

第二条 この法律において「不正競争」とは、次に掲げるものをいう。

 営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為

(差止請求権)

第三条 不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、その営業上の利益を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。

(損害賠償)

第四条 故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、第十五条の規定により同条に規定する権利が消滅した後にその営業秘密又は限定提供データを使用する行為によって生じた損害については、この限りでない。

(信用回復の措置)

第十四条 故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の信用を害した者に対しては、裁判所は、その営業上の信用を害された者の請求により、損害の賠償に代え、又は損害の賠償とともに、その者の営業上の信用を回復するのに必要な措置を命ずることができる。

(2)「営業秘密」とは

不正競争防止法上の「営業秘密」とは,秘密として管理されている(秘密管理性)生産方法,販売方法その他の事業活動に有用な技術上の情報(有用性)であって,公然と知られていないもの(非公知性)をいいます(同法2条6項)。

ア 秘密管理性

秘密管理性が認められるためには,当該情報にアクセスした者に当該情報が営業秘密であることを認識できるようにしていることや,当該情報にアクセスできる者が制限されていることが必要であるとされております(東京地判H12.9.28)。

必要とされる管理措置の程度(厳格さ)は,当該情報の性質や企業規模等の諸般の事情によって異なります。

小規模の企業における有用性が極めて高い情報については,当該情報にマル秘の印を押印し,人目につかない場所に保管するなど,比較的ゆるやかな管理措置で秘密管理性が肯定される場合があります(下記参考判例)。

〈参考判例-大阪地裁判H8.4.16〉

以上の事実によれば、一般に男性用かつらの販売業においては、理容業等の業種に比ベて顧客の獲得が困難であり、多額の宣伝広告費用を投下して新聞、テレビ等の各種宣伝媒体を利用せざるを得ない実情にあり、原告顧客名簿も、原告において長年にわたり継続して多額の宣伝広告費用を支出してようやく獲得した顧客が多人数記載され、各顧客の頭髪の状況等も記載されているものであり、これらの顧客からは将来にわたって定期的な調髪等の外、かつらの買替えの需要も見込まれることに照らせば、原告顧客名簿は、原告が同業他社と競争していく上で、多大の財産的価値を有する有用な営業上の情報であることが明らかである
そして、原告は、原告顧客名簿の表紙にマル秘の印を押捺し、これを原告心斎橋店のカウンター内側の顧客からは見えない場所に保管していたところ、右のような措置は、顧客名簿、それも前記のような男性用かつら販売業における顧客名簿というそれ自体の性質、及び証拠(証人丁、原告代表者)により認められる原告の事業規模、従業員数等(従業員は、本店及び三支店合わせて全部で七名。心斎橋店は店長一人)に鑑み、原告顧客名簿に接する者に対しこれが営業秘密であると認識させるのに十分なものというべきであるから、原告顧客名簿は、秘密として管理されていたということができる。更に、原告顧客名簿に記載された情報の性質、内容からして、原告以外の者に公然と知られていない情報であることは明らかである(これに反する証拠はない)。
したがって、原告顧客名簿は、不正競争防止法二条四項所定の「営業秘密」に該当するというべきである。

イ 有用性

「有用性」は,財の生産,販売等に役立つなど企業の営業活動に有用であることを意味します。

ウ 非公知性

「非公知性」は,当該情報の保有者以外から一般的に入手できない状態のことを意味します。

 


執筆

福島県弁護士会(会津若松支部)所属
葵綜合法律事務所 弁護士 新田 周作